関口流柔術とは?


関口流柔術は江戸時代初期に関口弥六右衛門氏心(通称 関口柔心)によって
創始された流儀である。関口柔心は諸国を廻って修行に励み、柔を大成し一流を建てた。
関口柔心の活躍で「柔(柔術)」が全国に広く認知され、関口柔心の名前が全国に知れ渡る。

この評判を聞いた紀州の名君「南海の龍」と言われた紀州藩 初代藩主 徳川頼宣公が
関口柔心を客分として迎え、柔心の技をみて

「代々の藩主は関口流柔術を学ぶべし」

と遺命する。以後関口家の歴代当主は「御流儀指南」をもって紀州徳川家に仕え、
紀州藩の上級武士に教授した。
関口流は紀州藩はもちろん、江戸での教授などからさらに諸国に広まり
大いに隆盛をした。

関口柔心の子息、氏業(八郎左衛門)、氏英(萬右衛門)、氏暁(弥太郎)
いずれも全国に名声を轟かせ、関口流の名をさらに全国に知らしめた。

現在、柔心の長男の氏業の業を継ぐ「関口新心流柔術 新心館」(大関口流)
第十三代 関口芳夫宗家と、三男氏暁の業を継ぐ「関口流柔術 富田派 誠武館」(小関口流)
第十四代 寺西弘陽宗家が伝承している。私が稽古しているのは小関口流であり
関口流柔術 富田派 第十四代 寺西弘陽宗家に弟子入りし修行しているのである。

関口流柔術の稽古の様子です。(場所は本部道場です)



         

         

    

柔術には受けという概念はありません。かわすと同時に相手の急所に打撃を加えます。
相手と接近した瞬間に打撃、逆技を極め、関節を脱臼させるか、骨を折ったり
砕いたりして、確実に仕留めます。仕留めないと刀で切られるからです。
技法は拳法、逆技、棒術(小手棒、尺棒、半棒、六尺棒)、活法、整体があります。
特に関口流の棒術は

「紀州の天秤棒」

と異名を取るほど、恐れられていました。(詳しくは本部、串本気功整体院を御覧ください。)

       

日本古来より柔術の道場は昼間は治療院となり師範が流派の裏技である活法、整体で
治療をして生計を立て、地域の住民は治療を受けに通っていました。
そして一門の高弟達は治療の助手を務め師範から治療技術を学び継承して行ったのです。

こうして密かに活法、整体は外部に漏れることなく流派の秘伝を守り、
後世に伝えていったのです。そして夜は柔術を習います。
柔術は関節の逆を取ったり、頚椎、肩関節、骨盤等関節を脱臼させたり
上腕骨等を折ったり砕いたり、眼、金的等を潰す稽古をするため
どうしても怪我をしてしまいます。

師範となれば稽古中に起きた、脱臼、亜脱臼、失神を治療出来なければなりません。
すぐに応急処置をしないと身体に障害が残るからです。
柔術の師範はこれらの治療が出来ます。

こういったことから古武道整体術には必ず表技、母体となる古流柔術の流派があります。

流派がない古武道整体術など有り得ません。

    

     



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